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そして…

この半年間は、本当にいろいろな事が起きすぎて、あっという間に時が過ぎてしまいました。

東北の震災でおばあちゃんたちを亡くし、原発事故でこれからは気軽には日本に帰れない、日本の食べ物を今までのようには満喫できない、日本に帰ってすぐに子供の頃沢山お世話になった隣に住む親戚のおじさんが亡くなってしまい、そして、ラテまでもが急死してしまいました。

5月12日の夜の事でした。
ラテは末期のガンでした。

3月31日の出発前日、急な出発だったのでケンネルにラテを預けずに、以前もラテの面倒を見てもらった友人にラテを預けて日本に出発。

日本に来てから、数回友人からメールがあり、ラテはとてもいい子にしているとのことで、本当は落ち着いたらケンネルに預けてもらおうと思っていましたが、友人宅で預かってくれるとのことで、お言葉に甘えて旦那さんがNZに帰るまで預かってもらう事になりました。

今回日本行きのチケットを急遽押さえた関係で、旦那さんの帰りの便は希望の日程では空きがなく、とりあえず6月始めで予約して、希望の日程でキャンセルが出るのを待ってNZに帰る予定でした。

本当は4月の20日前後にNZに戻りたかったんですが、なかなかキャンセル待ちの順番がまわってこなくて、ようやく取れたのが5月10日の便。

ラテを友人宅に迎えに行ったのに、全然ラテが喜んでくれなかったなんて言っていて、ラテに嫌われてるんじゃないの〜なんて電話で言っていたのですが、今考えれば喜ぶ元気もなかったんでしょうね。

少し前に預けておいたラテのエサが無くなり、新しいエサを買いに行ったら同じエサが無くて、同じメーカーのエサでちょっと大きさが大きめのエサにしたらあまり食べないと友人から連絡があり、エサが変わったから食べないだけかななんて思っていたんですが、これもきっと食欲が急激に落ちてきていたんでしょう。

そういえば、日本に出発する前の3月の初め頃だったか、一時期全然エサを食べないときがありました。
ちょうど旦那様のお母さんが来ていて、いつもよりも美味しいご飯(人間の食べているもの)をちょこちょこもらっているので、贅沢になってカリカリ(犬のエサ)は食べないんだね〜なんて言っていたんですが、これもきっと病気のせいだったのでしょう。

今考えれば、思い当たることがいくつかありますが、それでも頻繁に吐いたり、血を吐いたり、ぐったりしていたり、などは全然なく、いつもと変わらず過ごしていたので、まさかラテが病気にかかっているとは、少しも気がつきませんでした。

友人が送ってくれた写真。この写真がラテが生きていたときの最後の写真となってしまいました。

ラテが入っている木の箱にはメッセージを入れてもらいました。

”Latte” In our hearts always. Love and thank you.

1年前に撮った家族写真が、最後の家族みんなでの写真。出発までにもう少し時間があれば良かったのに。

旦那さんがラテを迎えて、次の日の夜、急死してしまったラテ。
帰ってくるのを待っていたのでしょうか。
それまで、頑張っていたのでしょうか。

旦那さんがNZについてすぐに、スカイプをしようかなんて話していたのに、なんとなく後回しにしてしまったことが、悔やんでなりません。

今まで何事においても「後悔」はほとんどした事がありませんが「あのとき、スカイプしておけば良かった」と、とても後悔しています。

最後に一目だけでもラテの姿を見たかったし、私にたっぷり懐いているラてだって、きっと一目、一声、スカイプでも私にあいたかったに違いない。

出発の時が急だったために、最後にラテにたっぷり甘えさせてあげられなかったし、毎年4月に撮っている家族写真もまだ撮っていなかった。

最後の最後にラテの姿を見る事が出来ず、亡くなってしまった後もその姿を見てあげる事が出来なかった。

9歳と3ヶ月。もう少し長く生きてほしかったです。
せめて私が帰るまでと思いますが、直にラテの死に直面していたら、実はもっとショックが大きかったのかもしれませんね。

ちなみに、動物病院では解剖しても死因がはっきり分かる事は少ないと言われていたのですが、解剖の結果、すぐに原因が判明しました。
ガンにより、おなかの中に大量に出血してしまったのが原因でした。

いくつかのガンにかかっていて、肝臓と特に脾臓には大きなガンが見つかりました。
死因となった最も可能性の高いガンは、血管肉腫というもので、調べてみると血管肉腫とは、血液を介して皮膚や、心臓や脾臓などの内臓に転移するガンのようで、まさに体中にガンが広がってしまっていたようです。

病院の先生によると、最後の最後まで、痛みなどは無かっただろうというのが、せめてもの救いでした。

解剖の後は、そのまま庭に埋める人もいるらしいですが、紹介しらもった業者に頼んでラテは火葬してもらいました。

ラテの灰は立派な木の箱に入れてもらい、メッセージも付けてもらえました。
これをどこかに埋葬するのかもしれませんが、今でもいつもみんなのいるリビングに置いてあります。
ラテの思い出の物たちと一緒に。