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半年が経ちました

3月11日の東北地方の大地震より、半年が経ちました。

被災された皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。
そして地震により被災された皆様、そのご家族の方々、亡くられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

この東北地方太平洋沖地震の発生から半年の間、いろいろな事がありすぎて、セイカツメモを書く気が起こらず(忙しくて更新する時間がなかったのが半分…)、たまにちょっと書いてみては、手が止まってしまいなかなか書き進めず半年も中断していまいましたが、先日たまたま昔のセイカツメモを読み返して止まらなくなりました。

春が生まれるもっと前のセイカツメモ。
ニュージーランドに来て毎日いろいろな事が目にとまり、書きためていた記録。子供が生まれてからは、子供中心の生活に変わり、そのほとんどが子供の成長記録になっていますが、後から読み返すと結構昔の事でも鮮明に思いだせるものですね。

もともと始めの転職したのを期につけ始めた日記。目的は「おばあちゃんになったときに読み返すための日記」なので、やっぱりここで終わってしまっては短すぎる!(といっても1998年4月1日から始めたので、かれこれ13年半ぐらいやってるので十分長いか。まだブログなんて言葉のなかった頃からの元祖ブログです。)

ということで、再開します。

そして、この半年間に起きた事。
書こうか書くまいか、書いてよいものなのか迷ったけど、忘れたくても忘れられない出来事なので書いておきます。

3月11日の3時になるちょっと前のことだったでしょうか。東京に住む母親から「今すごい大きい地震があって、とても怖かった。岩手の方が震源地らしい。」という電話がかかってきました。

岩手と言えば、旦那様のおばあちゃんちが岩手県。
母からの電話のあと、すぐにおばあちゃんちに電話をしてみると、電話の呼び出し音はなってるけど出ない。
100歳のおばあちゃんもいるし、地震の後で電話にでてるどころじゃないんだね、また後でかけなおしてみようなんて話した後、盛岡に住むおじさんに電話をした。

盛岡のほうもだいぶ揺れたみたいだけど、大丈夫とのこと。
津波が来るらしいけど、3mぐらいだから大丈夫かななんて話しをしたような覚えがある。

その後、なんどかおばあちゃんの家に電話したけど呼び出し音が鳴らない。
大地震で、日本の電話回線がパンクしているのか、NZからの電話の方がまだ繋がるけど、日本国内同士だとだいぶ電話のつながりが悪いらしい。

ネットで地震のニュースを見ていると、どんどん被害が大きかった事が分かって来た。
その日は夜中になるまでずっとネットであらゆる情報を見ていました。
夜中寝る間に見た街が炎に包まれている映像。まるで地獄絵のようで、ドキドキして眠れなかった。

東北地方全体で停電と電話回線も落ちているようで、連絡が取れず、次の日も、次の日も、朝から晩までパソコン3台フル活動で、日本のニュースを見続け、twitterで情報を集め続けました。

日に日に被害状況が分かってくる中、避難先の状況がつかめない。
報道陣が避難所に入っているにも関わらず、誰が避難しているのか、安否情報が少なすぎる。
津波の被害状況自体はテレビの映像でやっているが、離れて住む家族や知人が本当に知りたいのは、現地の人々の安否情報なのに。
避難所に張り出された掲示板の安否情報をどうして公開してくれないのか。きっと個人情報が絡んでいるからなんだろうけど、それでも各局のホームページにはそれを公開すべきじゃないのか…。

陸前高田市の様子(4月)

屋根の上まで瓦礫がのっていました。

おばあちゃんたちが住んでいたのは被害の大きかった、岩手県陸前高田市。
おばあちゃんたちの家は、津波の被害を受け屋根の上までがれきが打ち上げられ、家のそばには大きなクレーン車が流れ着いていました。

あまりに突然の現実を受け入れられない毎日でしたが、3月の終わりに二人の遺体が発見されました。
とても残念なことでしたが、まだまだ遺体が見つからない人が多い中、本当に二人が見つかって良かったと思います。とても悲しい現実ですが、行方不明のままでは、ずっと気持ちの整理がつかないままになってしまいそうですから。
まだ行方不明の人たちが沢山いますが、少しでも多くの人たちが見つかることを願います。

そして、、、、
本当は原発の事があったので4月に日本に行く予定はキャンセルしたんですが、遺体が見つかったとの事で急遽家族で日本に帰ってきました。

しかも、夜逃げのごとく。

3月31日の3時ごろ旅行会社に連絡し、手続きが終わったのが夕方6時、そしてその日の夜中3時に日本に向けて出発!
3時頃に明日のチケットしか取れないと分かった時点で、明日は無理でしょ〜と思いましたが、その数時間後には出発の手続きをし、急すぎて心臓がドキドキして夜ご飯もろくに作れず、とにかくその日の仕事をなんとか終えて2時間ぐらいで出発の準備。

日本に行くということは、ラテをどこかに預けなくてはいけません。
なもんで、まだ確定はしてないけど、4月に年に一回の予防接種があり、これを受けていないとケンネルに預けられないので、とりあえず急遽予防接種を受けて、とりあえず友人宅にラテを託し、熱帯魚のほうは今回は仕方ないってことで、そのままの状態で日本に出発。

日本に行く予定なんてなかったもんで、前日にはスーパーでたっぷり買い物もしてあり、冷蔵庫の中身もほぼ満タン。
お土産だって買う暇なんてなく、とにかく荷物をまとめて夜逃げさながら日本へ〜。

と、長文になりすぎたので、続きはまた次回に。